香月泰男 「ひなげし」1955年 

9.5X15.3cm  板に油彩

 

絵の好きな人にとって香月と云えば【シベリアシリーズ】と云う事になるでしょう…

香月自身が「満州出征、シベリア抑留という(過酷な)体験がなければ自分の人生は単調なものになっていただろう」という意味の事を云われています。

 

香月は類い稀なハイセンスな画家、そのセンスだけでも人を充分感服させられる絵が描ける人。更にわずかな線だけで画面全体に、意図する空気感を表出できてしまうテクニックをも持ち合わせた人。

 

さて本画ですが、55年にまだシベリア抑留の傷がいえぬままの香月がキッチンの画家と言われていた名残がのこるものです。

 

わずかに四角く描かれた≪ひなげしの花≫、極寒のシベリアで次々と戦友の死を看取って行った画家がどんな気持ちで描いたのか…知る由もありませんが、我々はただこの絵を純粋に(微かな痛みを感じながら…)楽しんでもいいのではないか、と思います。 二重額装となっており、内側の額の金彩が当時の光を放っています。

 

 

 

◆ 板に油彩    

画サイズ:横15.3cm、縦 9.5cm。

 

画裏に《ひなげし1955 Yasuo.Kazuki 》のサイン。

正規鑑定証付き。

 

 

没年月日:1974/03/08

分野:洋, 画家 (洋)

読み:カズキ, ヤスオ*、 Kazuki, Yasuo*

 シベリア・シリーズといわれた虜囚生活を絵画化した作品で知られた、もと国画会会員の洋画家、香月泰男は、3月8日、午前7時10分、心筋こうそくのため山口県大津郡の自宅で急逝した。享年62歳であった。香月泰男は東京美術学校在学中に国画会に入選し、梅原龍三郎の知遇をえ、また福島繁太郎に認められた。郷里の山口県で高等女学校の図画教師となり、召集をうけて満州に従軍、敗戦後ソ連軍の手によってシベリアのセーヤ地区のラーゲルに抑留されて2年間の虜囚生活を送った。飢えと寒さに死んでいく戦友の老兵たちを眼のあたりにし、「軍隊毛布に包んで通夜をし、コーリャンの握り飯を供えた(そのお供えすら夜中に盗まれることもあった)」という極限的な情況を経験した。帰国後、再び郷里に住んだ香月は終生、その地に住み、戦争と敗戦、抑留の体験を昭和24年(1949)、「埋葬」から描き始めてその後約20年間にわたって45点余の作品を制作、それらが“シベリア・シリーズ”と呼ばれている。作風の単調さからある時期には万年新人候補と云われていたが、陶器の肌のような画肌を基調とした色数の少ない色調の画面で、静謐のなかに戦争の暗黒と死者への鎮魂の詩を描きだし、昭和46年(1971)、第1回新潮社日本芸術大賞を受賞した。昭和31年以降は、「地方在住のため、ややもすれば仕事が独善になり小さくまとまる懸念」しばしば海外旅行を試み、ヨーロッパ諸国からアメリカ、南太平洋、ギリシヤ、スリランカなどに旅行した。

 葬儀は、3月17日、山口県美術文化葬として三隅町明倫小学校体育館で行われ、政府は15日、勲三等瑞宝章を贈った。シベリヤ・シリーズの45点が山口県に寄贈され山口県立博物館に保管されることとなった。